• 対談

ユーザーインという思想を育んだ、さまざまな転機と「ヒト」力

株式会社ヒト・コミュニケーションズ 代表取締役社長 安井 豊明 様

「マーケティングの未来創造企業へ」というテーマを掲げ、クライアントの営業支援ニーズに成果で応えるヒト・コミュニケーションズグループ。
「ヒト」力とテクノロジーを融合し、本格的マーケティング分野のアウトソーシング時代を切り拓く代表取締役社長グループCEOの安井豊明氏に、AGSコンサルティングの廣渡嘉秀が話を伺った。

最初の転機、ラグビーとの出会い

廣渡 お久しぶりです。スポーツに強いヒトコムとしては、スポーツイベントの開催制限で大きな影響を受けたはずですが、売上高、営業利益とも好調を維持されているようですね。

安井 そうですね。スポーツ分野などは厳しい事業環境が続いているものの、ポートフォリオが機能してくれています。

廣渡 特に、EC・TC(電子商取引・テレビショッピング)支援事業が好調なようですが、今後もEC市場が牽引していくことになるのでしょうか?

安井 いつまでも巣ごもり需要が続く訳ではないのでしょうが、当面この傾向は続くと思います。ECでいうと、ブランド品など高額商品の購買が、実店舗からECにシフトしていますね。
そういう意味では当時、廣渡さんとも議論していましたが、2017年にECサイト支援のビービーエフを子会社化したことは、良かった。

廣渡 懐かしい(笑)。安井さんは良い会社を引き寄せているようなところがありますから(笑)。

安井 M&Aする時、なぜか縁を感じることが多いんですよ。私たちにとってはお客様に喜んでもらうことが全てですから、ビジネスプランだけでなく経営者の人格が重要だったりします。
『甲陽軍鑑』に、武田信玄の言葉として有名な「人は城、人は石垣、人は堀」という言葉がありますが、これは「情けは味方、仇は敵なり」と続くんです。言うべきことは言いますが、敵は絶対につくっちゃいけない。

廣渡 一見個性的ながら万人に好かれる、安井さんらしいですね。
さて、普段から仲良くさせていただいている分すっかり雑談から入ってしまいましたが、今日は安井さんの転機について聞きたいと思っているんです。

安井 転機ですか・・・いろいろありますが、一番の転機はやはり、ラグビーとの出会いですね。

廣渡 名門の大分舞鶴高校ご出身と伺っていましたが、いつから始めたんですか?

安井 高校からです。中学生のころテレビを観ていると、黒いジャージを着た一地方の高校生がオーストラリアのチームと国際試合をやっている。そのあまりのカッコよさに、「オレここでラグビーをやろう」と(笑)。

廣渡 ちょうど平尾誠二さんが活躍するなど、ラグビーブームでしたね。選手生活はどうでしたか?

安井 異常とも思えるような練習に明け暮れていましたが、私たちの代は狭間の世代などと呼ばれた。2年生の時、先生が「今年負けたら、来年はチャンスないぞ」なんて言うんです(笑)。

廣渡 ぜんぜん期待されてないじゃないですか(笑)。

安井 実際、私たちが3年生になった新人戦では、九州大会の2回戦で沖縄のコザ高校に負けることになる。地元の新聞に叩かれるわ、みんなからダメ出しされるわで散々でしたね。OBのスター選手たちが集結してきて死ぬほど練習させられました(笑)。

廣渡 その猛練習を経て、次第に強くなった。

安井 これもひとつの転機でした。「オレたちは弱い」という劣等感のもと、ひたすら練習する訳です。結果、秋の国体で大阪代表相手に善戦して、それからどんどん勝てるようになり、第63回の花園(全国高等学校ラグビーフットボール大会)では運よく準優勝することができた。

廣渡 仲間との絆が深まっていく、いい話ですよね。

安井 ところが、そうでもないんです。失敗するとチームメイトから徹底的に批判されて、次の試合に出られなくなる。強いチームというのはそこに緩みがなくて、「ドンマイ」などと声をかけ合うことなどありません。
みんなと仲良くなったのは、むしろ引退してからでしたね。

アメリカ放浪の旅をきっかけに、銀行への就職を決意

廣渡 大学卒業後は富士銀行(現 株式会社みずほ銀行)に入行されましたが、進路はどのように決めたんですか?

安井 地元大分で教員をやるか、父親が事業をやっていたのでそれを継ぐかが、もともとの選択肢でした。
ところが大学3年生のある日、高校時代のチームメイトが「アメリカに行こう」と言い出した。当時のアメリカといえば憧れの大国だったこともあって、ラグビーのオフシーズン丸々一ヶ月間を利用してアメリカに行ったんです、お金もないのに(笑)。シアトルから入って、シカゴ、ニューヨーク、LA、サンフランシスコ・・・。

廣渡 それは刺激を受けるでしょうね。

安井 放浪しながら、これはとんでもないことになっているな、と心の底から思いました。このまま大分に帰っていいのか。帰るのは、もっと広いフィールドで自分の力を試してからでも遅くないのではないか、と。

廣渡 そこで方針を転換して、就職活動を始めた。

安井 企業分析もやりましたが、特に自己分析を徹底的にやりました。ネガティブな面も含め、全部ノートに洗いざらい書いた。すると、だんだん「オレはダメなんじゃないか」と思えてくるんですね(笑)。ところが、そんな内省が功を奏してか内定が取れるようになり、最終的には富士銀行にお世話になることにしました。最初、まさかこんなにすごい会社とは思っていませんでしたが(笑)。

廣渡 金融機関に興味はあったんですか?

安井 まったくありませんでしたね(笑)。父も父で、私が事業を継がないことになったものだから不機嫌になってしまい、「その銀行は静岡の銀行か?福銀(福岡銀行)より大きいのか?」などと言って(笑)。

廣渡 実際に銀行に入ってみて、どうでしたか?ずいぶん活躍されたと伺っていますが。

安井 銀行では、社長にたくさん会うことができ、商売から財務まで、幅広い分野について学べることができた。ラグビーしかやってこなかった時代の遅れを取り戻すことができました。

廣渡 何百人もの優秀な同期がしのぎを削るなかで、結果を残すことができた要因はどこにあったのでしょうか?

安井 私は産業や会社を分析することが大好きなんですよ。自分が納得できるまで、現場に足を運び、調査部の調査資料を読み漁った。銀行からはそこが評価されていたようです。あと、できる人たちの仕事ぶりを観察していましたね。そうした感性と能力には長けていたんだと思います。表情や行間などを読む力は、教えられるようなものではありませんが、AGSの仕事でも必要なものですよね(笑)。

廣渡 おっしゃるとおり、私たちも単に優秀な専門家というだけでは、お客様からの人気は高まらないことが多いです。
結局銀行には何年いたんですか?

安井 13年お世話になりましたが、感謝しかありません。銀行での日々がなければ今の私はないですから。特にマーケティングや企画を経験できたことは大きかったですね。ただ、いろいろなことが重なって辞めることになりました。もちろん、嫌いで辞めたわけではないのですが。

成果追求型営業支援というコンセプトは、徹底したマーケット志向が生んだ

廣渡 その後、ビックカメラに転職されましたが、どういうきっかけだったのでしょうか?

安井 富士銀行のOBがビックカメラにいらっしゃって、その方から同社オーナーの新井隆司氏を紹介されたのがきっかけです。とある山荘に連れていかれると、ぱちぱちと薪の燃える囲炉裏にオーナーが座っていて、一升瓶を傾けながら、「それで、いつ来るんだ?」と(笑)。

廣渡 完全にドラマですね(笑)。

安井 正直、その時点でお世話になるつもりはなかったのですが、熱心に誘っていたこともあり、また、ビジネスの原点といわれる小売に興味もあったことから、結局入社することに決めました。大手町の銀行勤めだった自分が、赤い法被を着て毎日家電を売る。大きな転機でした。

廣渡 よく決断できましたね。企業文化も全く異なりますし、周囲に溶け込むのも大変だったでしょう。

安井 当時35歳でしたが、誰よりも汗を流そうと決め、必死に働きました。店の現場からスタートしましたが、店舗企画室や法人営業部などの立上げ、店舗開発やM&A、新規事業開発など、あらゆる業務に携わった。そんな時、グループに小さな派遣会社があって、そこの経営を担うことになりました。この会社が現在のヒト・コミュニケーションズです。

廣渡 その後、2005年12月に同社をMBOすることになる。ビックカメラが上場したのが06年8月ですから、直前になりますね。

安井 いろいろありました(笑)。MBO後も、上場を控えたビックカメラとの取引ができなくなってしまい苦労したのですが、付き合いのあった通信会社やメーカーに助けていただいた。その時ですね、派遣ビジネスからの脱却を決めたのは。

廣渡 それが、「成果追求型営業支援」というコンセプトに繋がっている訳ですね。

安井 お客様に喜んでいただくためには、単純な派遣ビジネスだけでは不十分と感じました。成果追求型営業支援企業として、採用・育成から、業績管理・報告に至るまですべてをカバーするというビジネスモデルを描きあげ、結果として案件のスケールが大きくなった。私たちのビジネスにとっては、これが大きな転機となりました。

廣渡 先ほども話に挙がりましたが、ヒトコムとAGSには似たところがあって、お客様に恵まれているからこそ、そのお客様に喜んでいただくことを追求していかなくてはならないというスタンスですよね。

安井 おっしゃるとおり、会計や税務といった経営管理なのか、営業なのか。テーマは異なるだけで、喜んでもらえないと次はありませんから。

テクノロジーと、ラストワンマイルの「ヒト」力を組み合わせたい

廣渡 今後も現状のコンセプトを追求していく方針に、変わりはないのでしょうか?

安井 そうですね。たしかに保育や介護など、役務を提供する場はたくさんあります。ただ私たちは、「営業とマーケティングの担い手」という役割に、ぶれることなく徹していくつもりです。もちろん、それを実現するために必要なものは、人材かも知れないし、ITやDXかも知れない。手段は問いません。

廣渡 アウトソーシングの垣根を超えて、実業に参入する可能性はありますか?

安井 アウトソーシングのノウハウを高めていくために実業を手掛ける、という選択肢はあるかも知れません。もちろん、マーケットを見極めたうえで。

廣渡 クライアントの現状から発想するのではなく、マーケティングから始めるという根っこの部分は徹底していますよね。

安井 ともすると、自分たちにできることを売り込む、という発想になりがちですが、私たちはお客様ご自身も気づいていないニーズをマーケットから見つけ、提案していくべきなんです。いわゆる「ユーザーイン」。
「Aという業務に人をたくさん使うのは止め、Bに移しませんか?そうするとコストダウンが可能ですし、生産性も向上します。半年いただければ私たちが実現しますから。」といった具合に。そうすると、お客様はきっと喜んでいただけます。

廣渡 そこにテクノロジーという手段を組み合わせていく。そういう世の中になってきています。

安井 だからこそ、M&Aの対象としてテクノロジー銘柄が多くなっている訳です。サポートしていただいているので、ご存知かと思いますが(笑)。

廣渡 いつもありがとうございます(笑)。

安井 ただし、それを活かすのは人ですし、一番大変なところ、ラストワンマイルは人間が対応せざるを得ない。ラストワンマイルの「ヒト」力とテクノロジーをどう組み合わせるか、マーケティングの未来を創造すべく、私たちはチャレンジを続けていきます。

廣渡 私たちの業界ももちろんそうですが、DXは今後大きな経営課題になりますよね。
本日はどうも、ありがとうございました。

※この記事は2021年7月27日の取材を基に作成したものです。
※対談時はマスクの着用など、感染防止策を講じたうえで実施しています。

  • 安井 豊明

    安井 豊明

    やすいとよみ

    株式会社ヒト・コミュニケーションズ・ホールディングス
    代表取締役社長 グループCEO

    1965年、大分県生まれ。88年に福岡大学を卒業後、株式会社富士銀行(現 株式会社みずほ銀行)入行。2001年、株式会社ビックカメラに転職した後、2004年9月にグループ会社である株式会社ヒト・コミュニケーションズ・ホールディングス代表取締役社長に就任。その後MBOを実施し、現在代表取締役社長 グループCEOを務める。

  • 廣渡 嘉秀
    interviewer

    廣渡 嘉秀

    ひろわたりよしひで

    株式会社AGSコンサルティング 代表取締役社長

    1967年、福岡県生まれ。90年に早稲田大学商学部を卒業後、センチュリー監査法人(現 新日本監査法人)入所。国際部(KPMG)に所属し、主に上場会社や外資系企業の監査業務に携わる。 94年、公認会計士登録するとともにAGSコンサルティングに入社。2008年より社長就任。09年のAGS税理士法人設立に伴い同法人代表社員も兼務し、現在に至る。