経済成長の過渡期で人手不足、ごみ収集を手伝った幼少期
廣渡
2022年12月に大栄環境さんが上場された後、その時の様子を実務メンバーでインタビューさせていただきました。その後も大栄環境さんは着実に業績を伸ばしていますので、今度は金子社長にもお話を伺いたいなと思い、今回の場を設けさせていただいた次第です。
金子
いえいえ、よろしくお願いします。
廣渡
創業時の立ち上げメンバーでいらっしゃるということですが、お生まれは創業の地、大阪府和泉市ですか。
金子
生まれは兵庫県西宮市で、阪神甲子園球場の近くです。物心ついたころ、うちの金子家と親族の赤澤家、下地家が、「大栄衛生」という会社で、廃棄物処理事業をしていました。当時の思い出として、2人の叔父たちに可愛がってもらったのを覚えています。
廣渡
西宮市というと、日本酒の産地ですね。
金子
はい。それもあって、米粕や廃液、酒瓶のくずなどを回収していました。当時、廃棄物事業は本当に人を集めるのが厳しかった。働き手が足りないということで、私も小学4年生ぐらいから手伝っていました。
廣渡
小学4年生とは、早いですね。
金子
当時は今ほど法令も厳しくなく、経済成長のさなかで、ごみが増える時期でした。人手不足がだんだん深刻になって、「何人でもええから友達を連れてこい」とか言われてね。でも、「パッカー車(ごみ収集車)にぶら下がって作業するのは嫌や」ということで、なかなか来てもらえなかった。
廣渡
子どものころから家業として携わっていらっしゃったのですね。その後、大学に通われた後、進路はどう決めたのですか。
金子
大学卒業を間近に控えた2月、年上の方の叔父が亡くなりました。もう1人の叔父が、後に大栄環境を創設する故・下地一正です。私が大学を卒業するにあたって「家族として、一緒にやっていかなあかんやないか」と声をかけられて、そのまま1979年に大栄衛生へ入社しました。
廣渡
入社されたのは、大栄衛生さんだったのですね。大栄環境設立の経緯を伺ってもよろしいでしょうか。
金子
まず、1970年に廃棄物処理法が制定されました。これは、家庭ごみは行政が、企業の廃棄物は民間が、それぞれ責任を持って処分するという法律でした。
廣渡
当時を考えると、空き地に置きっぱなしにするとか、海に捨ててしまうといった処分があったかもしれません。
金子
大栄衛生は、家庭ごみも産業廃棄物も両方を扱っていました。官民共に適切な処分が求められるなか、廃棄物をちゃんと管理できる最終処分場を建設する必要があると考えました。そこで、下地一正や私など4人で立ち上げたのが大栄環境です。
廣渡
大栄環境として最終処分場の事業を立ち上げたと。
金子
設立は1979年の10月17日です。たまたま私の23歳の誕生日でした。
廣渡
忘れなくていいですね。
創業の地で最終処分場を建設へ、地元からは猛反対
廣渡
当時の事業環境はどうでしたか。
金子
廃棄物処理法はできたものの、実態としては機能していなかったと感じています。不法投棄や、それによる環境公害も依然としてありました。そんななか、大栄環境は、ご縁があった大阪府和泉市で最終処分場を計画していました。
廣渡
当時は、工場などから出る有害なごみや、大量の廃プラスチックの処理が社会問題となっていた時期ですね。ごみに関わる会社へのイメージもあまり良くなかったと思います。
金子
それはもうすごかったですよ。計画が地元に伝わった時点で、市と連合町会から猛反対を食らいました。反対派は団体でバスをチャーターして、大阪府庁へ「絶対に処分場の許可を出すな」と主張していました。
廣渡
行政側の大阪府はどういった立場だったのでしょうか。
金子
実は一番困っていたのが、大阪府でした。廃棄物処理法ができて10年くらいが経つのに、住民の激しい反対もあって、新しく設置許可を得た民間処分場はいまだに一つもなかった。そのせいで不法投棄が深刻な問題となり、行政として対処しなくてはならない。当時は大阪府の担当者が地元の集会に出てくれて、一緒に処分場の計画を説明してくれました。
廣渡
今では考えられない光景ですね。ただ、許可が出ない間の資金繰りは相当大変だったと思います。
金子
最終処分場をつくる際は、まず地域で合意を取る。その次に大阪府との事前協議を経て、初めて設置許可申請ができます。許可申請の段階では、既に何億円というお金がかかっていました。
廣渡
創業時に億単位の支出ですか。
金子
その間の売り上げはゼロです。借入金と出資金だけで回していくしかない。精神的にも肉体的にも限界に近い状態でした。
廣渡
大栄環境さんは、創設した翌年の1980年に管理型最終処分場を開設されています。そこまで踏ん張れた要因をどう考えていますか。
金子
創業時から社長を務める下地一正の「やるしかないんや」という熱意のある一言で、皆が引っ張られました。下地は情熱を持って地元に入り、丁寧に住民と接する姿が印象的でした。当時まだ30代でしたが、誰からも好かれる人望がありました。
廣渡
社会状況を考えると、有害物質が外に漏れ出さないような管理型の最終処分場ができた意義は大きいですよね。実現できたポイントはどこにありますか。
金子
地域の皆さんと信頼関係を築けたことが一番です。説明を尽くすなかで、徐々に味方になってくれる人が増えていきました。それがなければ今の私たちはないと思っています。
苦節20年、阪神・淡路大震災での災害廃棄物処理が転換点に
廣渡
処分場を稼働した後は、どのような方針を取ったのですか。
金子
廃棄物をきちんと分別して、リサイクルを徹底しようと考えました。処分場を長く使おうという発想です。
廣渡
リサイクルは、現在につながる考え方ですね。
金子
ただ、始めの20年間は債務超過に何度もなっています。信頼してくれた人たちに報いるには、処分場を長く存続させる必要があると考えていましたので、高金利の貸付業者でお金を借りてでも、何とかしてつないでいました。
廣渡
どのあたりが転換点になって、業績が伸び始めたのでしょうか。
金子
きっかけは、阪神・淡路大震災でした。発災前年の1994年に兵庫県三木市で最終処分場を開設していたことも大きかったです。
廣渡
震災ですか。
金子
未曽有の震災により、ものすごい量の災害廃棄物が発生しました。復旧・復興しようにも、災害廃棄物を処理しないことには何も進みません。管理型の処分場がどうしても必要でした。そこで、被災した地域からの要請を受け、廃棄物処理に協力させていただいたのです。
廣渡
地元企業としての責任の重さを感じます。
金子
一時的な需要の膨らみにより、売上高は、震災前の3倍に当たる200億円を超えましたが、それ以上に復旧・復興に貢献することができたことに安堵しました。廃棄物処理という事業自体も評価をいただけ、震災後も売上高は落ちませんでした。
廣渡
大栄環境さんは、今も多くの自治体と取引がありますよね。震災からの復興という経験は、現在につながる大事なステップだったと思います。
金子
次の大きな変わり目は、2008年のリーマン・ショックです。当時、廃棄物の処理料金を、先方から一方的に5%カットされるということもありました。非常にしんどかったです。
廣渡
あの時は各社大変でした。
金子
事業のレジリエンスを強化するため、最終処分場だけではなく、周辺施設を充実させようと考えました。社内議論の末、約130億円を投資して、三重県伊賀市に複合リサイクル施設「三重エネルギープラザ」を建設することに決めました。
廣渡
リーマン・ショック後に思い切った金額ですね。どういった施設でしょうか。
金子
廃棄物を焼却して、回収した熱を発電などにも利用する複合リサイクル施設です。2013年に開設しました。投資を発表した当時は「大栄環境はつぶれる」とも言われましたが、今では稼ぎ頭に成長してくれています。
M&Aで大きく成長。集約化とガバナンス強化を狙い上場目指す
廣渡
三重エネルギープラザの開設後、現在まで安定して成長されていますね。
金子
事業の成長にあたっては、M&A戦略も大きく貢献しました。グループ会社数は、2014年3月期に20社でしたが、2025年3月期には39社となりました。従業員も2,000名を超えています。
廣渡
M&Aを積極的に活用していくと決めたころは、業界の動向をどのように捉えていたのでしょうか。
金子
超分散型の市場から集約化が始まるタイミングでした。特にプラスチックのリサイクルは過大投資で疲弊している企業が多く、再起を期すべく大栄環境にお声がけいただくこともありました。
廣渡
積極的なM&Aで業界トップへと駆け上がりました。ここから東京証券取引所に上場を目指すストーリーになるかと思いますが、きっかけはあったのでしょうか。
金子
インフラ系大手のグループ企業で、汚染土壌処理を手掛ける会社をM&Aしたことが、きっかけの一つでした。2017年に子会社として大栄環境グループに入ると、すぐに黒字転換できて成長戦略を描けるようになりました。社会的な信頼をさらに高め、自立的な成長を加速させるため、この子会社の単独上場(当時の東証2部)を真剣に検討し、準備を進めました。
廣渡
グループの成長に向けて、子会社の上場で市場からの評価を獲得するプロセスを踏んだのですね。
金子
はい。ただ、2年ほど準備したところで、当社との取引に一線を引くことが必要だと分かりました。当時この子会社にとっては、親会社である我々との緊密な連携が最大の成長戦略でしたから、上場のために強みを損なうのは本質的ではないと判断し、計画を断念しました。
廣渡
成長の源泉を守るための、苦渋の決断だったわけですね。
金子
ただ、2年間の準備で得た知見は非常に大きかったです。増え続けるグループ子会社のガバナンス管理という重要な課題も見えてきました。そこで、子会社単独ではなく、グループ本体の上場こそが、全社的なガバナンスの強化と信頼構築につながる最善策だと考え、目標をより高い次元へと切り替えたのです。
廣渡
本体上場へと目標を切り替えたのが、2019年ですね。
金子
上場に向けては、社内規定や規則を徹底して見直す必要がありました。社内の人間だけでは到底できないということで、満を持してAGSさんが登場するわけです。
廣渡
ありがとうございます(笑)。
創業43年で上場を達成。「未来は、信頼から生まれる」
廣渡
目標が子会社上場から本体の上場へと切り替わり、かなりエネルギーが必要になったかと思います。
金子
初めて上場に挑戦するわけですから、ガバナンス面での厳しい指摘を想定して準備しました。廃棄物処理の業界から、いきなり1部(当時)に上場する会社はこれまでなかったと思います。その分、厳しいチェックがあると考えていました。
廣渡
そうしてついに、新型コロナウイルスの感染拡大や東証の再編などを乗り越え、2022年12月にプライム市場に上場されました。当時の苦労については、実務メンバー同士の対談という形で詳しく記事にさせていただいております。
(大栄環境とAGSが挑んだ新規上場の舞台裏に迫った記事はこちら)
金子
AGSさんには弊社の社員を巻き込んで仕事をしていただきました。それはもう大変だったと思います。
廣渡
いえいえ、その節はありがとうございました。東証プライム上場によって、さらなる信頼と知名度を獲得されましたが、これからの廃棄物処理業界については、どう見ていますか。
金子
廃棄物の量自体は縮小傾向ですが、市場という観点では拡大しています。特に地方の自治体は住民の生活を維持するのに精いっぱいで、自分たちで施設をつくる余力がなくなっています。結果として民間活用への道が開かれ、新たな形のビジネスにつながっています。
廣渡
社会的信用もあり、これまでの実績もある。大栄環境さんに頼まない手はないですね。
金子
2025年3月末時点で487自治体と取引させていただいています。一般廃棄物や産業廃棄物について、収集・運搬からリサイクル、最終処分までワンストップで完結できるのが、弊社の強みです。
廣渡
創業からのお話を伺うと、時間をかけてでも、信頼を得るまでやりつくす姿勢がポイントだと感じました。
金子
大栄環境は「未来は、信頼から生まれる」というサステナビリティ基本方針を掲げています。創業以来、地域からの信頼がなくては事業は成り立ちませんでした。これからも道を拓いてきた創業者精神を継承していくことが私の役割だと思っています。
廣渡
事業環境は変わっても、培ってきた会社の精神は不変ということですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。
金子
ありがとうございました。
【大栄環境株式会社のご紹介】
1979年の設立後、大阪府和泉市に管理型最終処分場を開設した。以来、40年以上にわたり環境関連事業を行っている。⼀般廃棄物と産業廃棄物の収集運搬から再資源化、最終処分まで、ワンストップで対応できる強みを生かして、全国で事業を展開する。創業時の「廃棄物は循環資源」という考え方に基づき、持続可能な循環型社会の実現に向けた取り組みを業界に先駆けて推進。エネルギー創造や森林保全など幅広い事業を手掛ける。2024年3月に女子プロサッカークラブ「INAC神戸レオネッサ」の運営会社の全株式を取得し、チームの運営を通じた文化振興や地域経済の発展にも貢献している。
大栄環境株式会社(大栄環境グループ)のHPはこちら