「インターネットを通じて、心のつながりを提供する」というミッションのもと、理美容店舗向け予約管理システム「BeautyMerit」などを提供しているサインド。
資本金100万円での上場という、前代未聞の快挙を成し遂げた、代表取締役社長の奥脇隆司氏と同副社長の高橋直也氏に、AGSコンサルティングの廣渡嘉秀が話を伺った。
株式会社サインド
代表取締役社長 奥脇 隆司 様
代表取締役副社長 高橋 直也 様
サインドがAGSのIPOコンサルを導入したきっかけ
廣渡
本日はよろしくお願いします。
今回は対談ということで、おふたりからいろいろとお話を伺えればと思いますが、IPOを担当したメンバーから、サインドのコンサル事例についてもインタビューをお願いしたいと聞いているので、実務的な話はそちらに譲ることにします。
まずはやはり、私が野村證券のイベントでナンパしたところからですかね(笑)。
奥脇
あれはたしか、2019年だったと思います。
ちょうど主幹事証券会社を選定しようとしていた時期で、「イメージを掴んでみては?」とパーティーにお誘いいただいたんです。今はコロナ禍で開催しなくなったようですが。
高橋 初めてお会いしたのは、そのパーティー後でしたね。クロークで並んでいたらちょうど後ろに並んでいた廣渡さんにお声がけいただきました(笑)。
廣渡 「せっかくですから名刺交換しましょう」と(笑)。
高橋 その後、上場準備を始めるにあたってコンサルを検討することになり、「あ、そういえば」と思い出した。その場で廣渡さんに連絡したところ、すぐにAGSにお伺いすることになりました。
廣渡 ずいぶんとんとん拍子だったことを覚えています。
高橋 コンサル導入については当初悩んだのですが、なにしろ上場準備は初めての経験ですから、何から手を付ければ良いか、本当に試行錯誤です。証券会社を始めいろんな方にアドバイスいただくなかで、経験豊富なコンサルタントにご協力いただかないと大変だなと。そこでAGSに話を伺ってみたところ、ピンと来ましたね。奥脇と、「じゃあ、お願いしようか」と(笑)。
廣渡 前職の、手間いらず(株式会社)も東証マザーズに上場されていたかと思いますが、同社の上場には関わってらっしゃらなかった?
奥脇 ふたりとも上場後に入社したので、全く関わっていません。
高橋 上場したのは2006年、私が新卒として入社したのが2008年、奥脇が2011年でした。
奥脇 最低資本金規制特例制度を利用した会社として初めてのケースだったので注目されていたようです。私たちの在籍当時は株価も下がっていて、大変な時期でしたが。
いつか起業すべく飛び込んだ、リーマンショック時代のIT業界
廣渡 せっかくなので、手間いらず時代のお話も伺ってよろしいでしょうか?
奥脇 私はもともと山梨県の田舎出身で、地元には経営者が多かった。祖父も事業をやっていたこともあり、学生時代からいつか起業したいという、漠然とした思いがあったんです。手間いらずは当時、比較.com株式会社という社名で比較サイトを運営しており、いろんな業界を見ることができると考え、入社を決めました。在籍期間はインターンとして1年、正社員として4ヶ月と、短いものでしたが。
廣渡 え、そんなに短かったんですか?
奥脇
いろいろありまして(笑)。
退職したのは2011年8月で、10月には創業しました。
廣渡 何歳のころですか?
奥脇 23歳です。
廣渡
お若いなぁ(笑)。
高橋さんはどちらのご出身ですか?
高橋 私は北海道の札幌出身で、大学も札幌でした。当時、ホリエモンさんが世の中を騒がせ、孫さんや三木谷さんが活躍するなど、IT業界では若い人たちが輝いているなと感じた。手間いらずに入社した理由は奥脇と似ていて、比較.comでいろいろな業界に携われるのが面白いと感じたことと、少人数の組織だったので社長や役員との距離が近い環境だと思えたことですね。
廣渡 高橋さんは3年在籍されていたことになりますが、同じく起業しようと?
高橋
私もいずれは起業したいと考えていたんですが、最低3年ぐらいはこの会社でがんばろうと決めていました。
そんな中、2年目に、「手間いらず」というシステムを扱う部署に異動になった。比較サイトのビジネスが楽しかったこともあって最初は気が進まなかったのですが、ホテルや旅館にとって、このシステムはとても喜ばれるものだった。やってみると、すごくやりがいを感じましたね。
廣渡 サインドが提供している「BeautyMerit」の原点といったところでしょうか。
高橋
そうですね。
手間いらずは当時、入れ替わりの激しい会社で、入社して3年が経ったころにはすっかり古株になっていました(笑)。
当時パソコンにインストールするタイプの商品だった「手間いらず」をクラウドに移行するプロジェクトがあって、それを右往左往しながらも成功させた時、そろそろ辞め時かなと。
その後退職することになるのですが、それがちょうど奥脇が退職するタイミングと重なったんです。
手間いらずでのつながりが育んだ、サインドのルーツ
廣渡 奥脇さんと高橋さんは、当時から仲が良かったんですか?
高橋 それが、部署が違ったので、ほとんど面識がなかったんですよ。
奥脇
サインドに亀井という取締役がいて、彼も手間いらず出身なんですが、そこから繋いでもらった。
むしろ、まともに話をするようになったのは辞めた後ですね(笑)。
廣渡 お話を伺う限り、相当ハードワークだったかと思いますが、手間いらずでの修行時代で一番よかった点は?
高橋
「精神と時の部屋」と揶揄されるような環境でしたが、すごく充実した時間でした。
良かった点は、やはり、いろんな人に出会えたことですね。後にサインドに入社してくれた当時の仲間も少なからずいて、ウチとしては採用コストをずいぶん抑えることができました(笑)。
廣渡 当時としては目立った会社でしたから、優秀な人が集まっていたんでしょう。かつてのリクルート然り、サイバーエージェント然り。
高橋 新卒で右も左もわからなかった私たちにとって、いろいろな経験やスキルを持った人たちと繋がりをもてたことは大きな収穫だったと思います。本当に感謝しかありません。
廣渡 サインドが上場までたどり着いたひとつの要因は、このあたりにありそうですね。
高橋
おっしゃるとおりです。
サインド上場の翌日、渡邉社長にご挨拶に伺ったのですが、本当に快く迎えてくださいました。想像以上にウチへの転職者が多くて驚いてらっしゃいましたが(笑)。
廣渡 渡邉社長もご苦労されたのだと思いますから、グッとくるものがあったのかも知れません。
高橋 当時リーマンショックで時価総額が大きく下がっていましたが、投資家対応などに携わっていなかった私たちにとって、あまり実感を伴うものではなかった。上場会社の役員という立場になった今にして思うと、相当辛い思いをされていたんだなと。
廣渡 その後、大きく回復されたのは、本当にすごいことだと思います。
奥脇 先ほど事業面の影響について話が出ていましたが、手間いらずの存在は、サインドがロードショー(上場承認を受けた後、株式公開の前に、機関投資家に向けて行う会社説明会)を実施するにあたって追い風となりました。サイトコントローラー事業に関する認知度を高めていただいたおかげで、私たち自身は効率的に進めることができた。
サインド誕生と苦難の日々
廣渡 話題がサインドの話になってきましたので、このあたりで創業時の苦労話などを伺ってみましょうか。
高橋
創業は五反田で、ちょうどこの会議室ぐらいのオフィスを借りました。
手間いらずの本社が恵比寿にあるんですが、福利厚生で、二駅以内だと家賃補助が出ることになっていて、ちょうど奥脇も私も五反田に住んでいたのが理由です。
廣渡 それも手間いらずの影響なんですね(笑)。
高橋 そうなんです(笑)。東口のファミレスで毎晩のように事業戦略を話し合っていました。
奥脇 ネットで「会社のつくり方」を検索するところからのスタートでしたね。
高橋 サインドは資本金100万円で設立したんですが、ふたりとも少しばかり貯蓄があったこともあって、外部から一切資金調達をしなかった。
廣渡 実際のところ、お互いどのくらい貯蓄があるか知っていたんですか?
奥脇 ざっくりとは・・・(笑)。
高橋
どうせなら自分たちの力でやれるところまでやってみよう、というのが始まりでした。
事業については、いくつか候補もありましたが、手間いらずのシステムを手掛けていた経験から、これは他の業界でもいけるんじゃないかと。
廣渡 業界を絞っていくわけですね。
高橋
当時ネット予約が浸透していなかった飲食と理美容が、市場としてのポテンシャルが高いのではないかと感じました。
そして、さらに議論を進めるなかで、直接来店するケースが比較的多い飲食よりも、予約来店が大半を占める理美容のほうが面白そうだなと。
廣渡 よくそこまで考えましたね、ファミレスで(笑)。
奥脇 特に、若い世代にとっては飲食店を予約するという感覚が薄いんです。一方で、美容室は必ず予約して行く。その差が大きかったですね。
高橋 こうして理美容業界に参入することになったんですが、私たちはエンジニアではないことを思い出しました。ところで、システムはどうしようかと(笑)。
廣渡 オレたちじゃ作れない(笑)。
高橋 そこで、退職したエンジニアなどをリストアップし、手伝ってくれそうな人から順番にアポを取りました。「こういうサービスをやりたいんです、ただしお金がない」と(笑)。
廣渡 出世払いでお願いせざるを得ないですよね。
高橋 「しっかり売って見返りをお渡しするから、タダで作ってほしい」とお願いをしたところ、他の仕事をやりながらの片手間で良ければ、と引き受けていただいた。
廣渡 システムの原型をタダで作ってもらうことができた・・・すごいな(笑)。
高橋 旅行業界における予約システムのノウハウは持っていたのですが、理美容業界は全くの初めてでした。一からテレアポしたり、自分たちが利用している美容室にお願いしたりして、どういう仕組みになっているのか研究し、システムを設計していった。
廣渡 相当ご苦労されたかと思いますが、サービスができるまでどのぐらいかかったんですか?
高橋
1年ちょっとですね。理美容業界向けのスマートフォンアプリを開発していたところ、App Storeで取り扱ってもらうための審査に苦戦しました。申請から審査完了まで2週間かかり、修正して再申請してまた2週間という繰り返しが半年近く続いた。
その間、ほぼ売上のない状態だったんです。ヤバいなと。事務所の家賃も社会保険料も払えない(笑)。
廣渡 そりゃあそうだ(笑)。どうやって繋いだんですか?
高橋 お世話になった方にホームページを作らせてもらったり・・・まさにアルバイトですね(笑)。
奥脇 お金がないので本屋さんで立ち読みしてプログラミングを覚え、それでホームページを作った。意外となんとかなるものなんですよ(笑)。
高橋 先ほどお話ししたとおり、資本金100万円で外部調達もしていなかった。当然、アルバイト売上だけで賄えるはずもなく、会社の銀行口座残高が二桁になってしまったこともありました(笑)。
廣渡 二桁って、十円単位ってことですか(笑)?
高橋
そうです、100円を切って十円単位(笑)。
それが設立後7、8ヶ月目ぐらいで、いよいよどうしようと悩んだ結果、奥脇が「夜、バイトする。家も引き払って、事務所で寝泊まりする。」と。
奥脇
実際にコンビニでバイトをはじめました。
あと、高橋の友人にカップラーメンの卸をやっている人がいて、試供品を大量に送ってもらって食いつないだりもしました。ただ、すごく辛かったりと、変わった味のものばかり(笑)。
廣渡
それは気合が入っていますね(笑)。
資本金ではとても足りなかったのだと思いますが、どのくらい立て替えていたんですか?
奥脇 最終的には2千万円ほどになったでしょうか。役員報酬を未払い計上したうえで、源泉所得税も社会保険料もきちんと支払っていました。
廣渡 義務はしっかりと果たしていたわけですね(笑)。
高橋
社会保険料の支払いなどは結構きつかったです(笑)。
さすがに銀行に相談しに行ってみたところ、相手にもされませんでした(笑)。
人とのつながりが、サインドのサービスを成長させていく
廣渡 そんな逆境に耐えながら、どこがターニングポイントになったんですか?
高橋 サービスが出来上がって、1社、2社と導入していただいた時期に、社員第一号が入社してくれたんです。しかも理美容業界に携わった経験のあるメンバーでした。
奥脇 池田という、今の執行役員ですね。
高橋
かつての取引先などに営業してもらえるようになったことが大きかったと思います。私たちサインドのサービスが目新しかったこともあって、チェーン店などが少しずつ興味を示してくれるようになりました。
そんななか、とある業界内でも有名な美容師がサービスを導入したうえで、それをブログで発信してくれたんです。
高橋 しかもそのブログ、美容室のお客さんが読者なのだろうと思っていたら、理美容業界の関係者がみなさん読まれていたんです。すると、全国から一気に問い合わせが来た。
廣渡 それはすごい。
高橋 そこから、池田が関東圏、私が関西圏を担当して営業していきました。お金がなかったので、遠方には夜行バスで行ったりもしましたね(笑)。なかには販売代理店になってくれる会社も出てきた。案外狭い業界で、そこから口コミが広まり、ようやく売上が立つようになりました。
廣渡 それはいつ頃の話ですか?
奥脇 2013年から14年あたりでしょうか。契約がどんどん伸びていって、人が足りなくなりました。そこで、人材を採用していくことになる。
高橋 システムトラブルなどにたびたび見舞われたものの、なんとか軌道に乗せることができました。ただ、先ほどお話ししたような苦難を経験していたので、キャッシュは回るようになっても節約は続けましたが(笑)。
廣渡 貧乏グセがついてしまったんですね(笑)。
奥脇 そう思います。その後いろいろな所から出資の話をいただいたんですが、既にキャッシュは回っていたためお受けすることはなく、身の丈に合った形で人を採用していった。
廣渡 ここはお聞きしたかったんですが、広告費を投じて事業を拡大するという戦略は採ろうと思わなかった?そういうスタートアップも少なくなかったでしょう。
奥脇 そうした戦略が当時日本で流行っていたかというと、微妙なところではありましたね。
高橋 これもまた前職で学んだのですが、比較コンテンツはリスティング広告に相当お金をかけていた一方、手間いらずは営業して受注するスタイルだった。
廣渡 人の採用にお金をかけていた、ということですね。
高橋 そうです。サインドは後者にならい、なるべく広告宣伝費に依存しないビジネスモデルを選択した。サービス自体が良いもので、それが進化し続けているのであれば、競合が出てきたとしても負けることはないはずですから。
奥脇 既存のお客様の声を聞いて、サービスのブラッシュアップを繰り返すことが、結果として新しいお客様を呼ぶことになる。逆に、マーケティングを重視していたら、サービスレベルが追い付かずに解約率が増大してしまったでしょう。
AGSと二人三脚で進めた、浸透する規程づくり
廣渡 そうした堅実さと、さまざまな人とのつながりに恵まれて、経営も軌道に乗るようになった。そして、上場準備に入るわけですが、そのあたりのお話を伺えればと思います。
高橋 創業にあたって、いつかは手間いらずを超える会社にしたいと考えていました。先ほどもお話に挙がっていたように、東証マザーズに上場していましたので、私たちサインドも上場は目指したいなと。
廣渡 そこから野村證券のパーティーにつながっていく。
高橋
経営が軌道に乗ったタイミングで、野村證券の担当者に背中を押していただいたんです。
このあたりは冒頭と重なるので割愛しますが、上場準備といっても何をしたら良いか分からない私たちに対して、AGSは「何をいつまでにどういう形でやればよいか」スケジュールを示してくれた。
奥脇 このタイミングでロードマップを引くことができたのが大きかったですね。上場が一気に具体的なものになったのを覚えています。
高橋 当時のサインドには就業規則ぐらいしかなかったので、まずは諸規程の整備から着手しました。AGSとは「規程とは何ぞや」というレクチャーにはじまり、まさに二人三脚でした。
廣渡 私たちはIPOコンサルティングのサービスを「短期合格するための予備校」と表現しています。この実践型サービスがサインドとうまく嚙み合ったんですね。
高橋 毎週1回の定例ミーティングには奥脇と私を含む4・5名が出席したんですが、AGSがリードしてくれて、どんどん進めていった。
奥脇 AGSのサービスで特にありがたかったのは、単に上場することを目的としたものではなく、社内での運用をくみ取ったうえで、規程のあり方を一緒に考えてくれたこと。だから浸透させやすかったし、形骸化せずに済んだ。サインドという会社の構造をこのタイミングで理解していただいたからこそ、審査についてもスムーズに進めることができたといえます。
高橋 サインドの実態に即したアドバイスをいただいたことは本当によかったと思います。大企業向けの規程をつくっても仕方ないですから。
廣渡 おふたりが積極的に出席してくださったことが、プロジェクト成功のポイントになったと思います。ともすると経営トップがミーティングに出てきてくれないケースもありますが、なかなか意思決定が進まない。
奥脇 上場って、一生に一度しか経験できないものですし、すごく興味がありましたからね。
廣渡
まさに、おふたりのその感覚が重要なんですよ。
優秀な管理部長を雇用すれば良いとか、IPOコンサルを導入すれば「上場させてもらえる」とか。そう考える経営者も、なかにはいらっしゃいます。
ただ、上場を目指す数多くの経営者に接してきた経験からいうと、代表者自ら、「上場するためのプロセスを経て会社がどう変わるのか」という問いかけに興味をもつこと。これが成否を分ける、ひとつの分水嶺になると私は思います。
高橋 そうですね。私たちにとっても、このプロセスに一から入って、間近で見ながら運用まで持って行ったという、この経験はすごく意義がありました。運用に乗った時、担当の鈴木が「やっと会社らしくなりましたね」と(笑)。もちろん、煩わしくなる面もあるのですが。
奥脇 何のためにこのルールを導入するのか。これを理解していると「こういうリスクに対応するため」と説明できるようになります。「上場するため」では誰も守ってくれませんから。
廣渡 もちろん、その会社の実情に合ったレベル感というものがあります。これはどの本にも書かれていませんが、私たちAGSはそれを具体的にお伝えできるのが強みですね。
奥脇 AGSの担当者さんは、「これをやってください」ではなくて、「これはできますか?」という導入を意識してくれた。最初に百点満点ではなく合格水準を示したうえで、サインドにカスタマイズしていったからこそ、みんなも受け入れてくれたんだと思います。
高橋 みんな「いずれ上場するんだろうな」と前々から感じてくれていたのか、いろいろ規程が整備されていっても文句ひとつ言わず、前向きに協力してくれました。
廣渡
従業員のみなさんに理解を示していただかないと、運用が破綻してしまいますから。
人を大切にしようという想いが、良いメンバーに恵まれたことにも繋がったんでしょう。
高橋 あと、AGSとの思い出といえば、やはり主幹事となった野村證券の審査です。当初から「野村の審査は厳しい」と脅しをかけられ続けていたので(笑)、私たちも覚悟はしていましたが、意外とゲーム感覚で進めることができました。AGSの笹﨑さんが回答のチェックを担当してくれたんですが、この「笹﨑チェック」を誰が一番多くクリアできるか(笑)。
奥脇 5人ほどで分担していたんですが、私たち創業者は思い出を書くだけなのですぐ終わってしまう。そこで、他の担当者にプレッシャーをかけて半分楽しんでいました(笑)。結果として当初の脅しが功を奏して(笑)、スムーズに終えることができましたね。
高橋 中間審査の回答を提出したところ、野村證券の審査担当が「すごくまとまっていて見やすい」と喜んでいただきました。AGSのおかげです(笑)。結果として大きな指摘事項はほとんどなかった。
サインドが目指す、理美容業界のDX化
廣渡
ありがとうございます。私も野村證券からは大変ポジティブなコメントをいただきました。
さて、最後になりますが、サインドとして今後の展望はどのようにお考えですか?
おふたりはまだまだ若いし、会社としても二転三転するでしょう。むしろさせなければいけない。
奥脇 私たちが見ている理美容市場は、美容室で27万店舗、ネイルサロンやエステなども含めると55万店舗がターゲット層となります。サインドはこのうち5千数百店舗しか取れていないので、まずはシェアを伸ばすことが重要と考えています。
廣渡 直近の決算説明資料で、理美容業界はDX化が必須だとお書きになっていましたね。
奥脇 この業界は本当にデジタル化が遅れている。「お客様に対してどのようにサービスを提供し、どのようにサービスの質を上げていくのか」という本業に比べ、それ以外のバックグラウンドの業務があまりに多すぎるんです。現在ネット予約からECに展開している状況ですが、店舗経営のオペレーションについてはある程度学ばせていただいたので、今後はこれを総合的にDX化していきたいですね。
高橋 まだまだアナログな業界だからこそ、サインドにとってのビジネスチャンスが広がっていると感じます。しっかりと価値を提供していくことで、自ずとシェアは取れるはずですから。
奥脇 27万店舗あるにも関わらず、市場規模は2兆円に過ぎない。つまり、生産性がものすごく低いんです。逆にいうと、まだまだ伸びしろがあると考えています。
廣渡
業界への思い入れが強いということは素晴らしいことだと思います。
今後の展開について周囲からいろいろと言われたりする時期だと思いますが、あまり惑わされずに、おふたりが信じる道を突き進んでいただきたいですね。
奥脇 そういうお話をいただくこともありますが、先ほどお話ししたとおり、理美容業界でのシェアを伸ばすこととお客様のDX化を強化することに専念したいと考えています。ただ、上場したことで選択肢が広がりましたから、自分たちで新規事業を立ち上げるなりM&Aするなり、お客様にとってベストと思える戦略を、スピード感を意識しながら実行していきたい。
高橋 今後はM&Aも視野に入れていく方針ですので、そういったタイミングが来れば、もしかしたらAGSにもご相談させていただくかも知れません。
廣渡
もちろん、いつでもご相談ください。
本日はどうも、ありがとうございました。
※この記事は2022年4月6日の取材を基に作成したものです。
※対談時はマスクの着用など、感染防止策を講じたうえで実施しています。
【サインドのご紹介】
「インターネットを通じて、心のつながりを提供する」というミッションのもと、理美容店舗に対して、店舗と顧客のつながりをサポートする、クラウド型予約管理システム「BeautyMerit(ビューティーメリット)」を提供。「顧客と時間の価値を最大化」というプロダクトポリシーのもと、理美容店舗に対して、集客・予約・施術・会計・アフターフォローに至るまで、店舗と顧客のつながりに対して、最適な顧客体験(CX)の構築、働き方改革(DX)を支援しています。
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株式会社サインド 代表取締役社長
奥脇 隆司
おくわきりゅうじ
1988年、山梨県生まれ。2011年帝京大学経済学部を卒業後、比較.com株式会社(現 手間いらず株式会社)へ入社。同年、株式会社サインドを設立し代表取締役社長に就任、現在に至る。 -
株式会社サインド 代表取締役副社長
高橋 直也
たかはしなおや
1985年、北海道生まれ。2008年札幌学院大学社会情報学部を卒業後、比較.com株式会社(現 手間いらず株式会社)へ入社。11年、株式会社サインドを設立し取締役に就任。19年より代表取締役副社長に就任、管理部長も兼務し、現在に至る。 -
インタビュアー
株式会社AGSコンサルティング 代表取締役社長
廣渡 嘉秀
ひろわたりよしひで
1967年、福岡県生まれ。90年に早稲田大学商学部を卒業後、センチュリー監査法人(現 新日本監査法人)入所。国際部(KPMG)に所属し、主に上場会社や外資系企業の監査業務に携わる。 94年、公認会計士登録するとともにAGSコンサルティングに入社。2008年より社長就任。同年のAGS税理士法人設立に伴い同法人代表社員も兼務し、現在に至る。