(1) 新しい資本主義と日本の税制
Ⅰ.新しい資本主義は、「成長と分配の好循環」と「コロナ後の新しい社会の開拓」
新しい資本主義のコンセプトは「成長と分配の好循環」と「コロナ後の新しい社会の開拓」となっています。また、新しい資本主義では持続可能性や「人」を重視し、新たな投資や成長につなげることを目指しています。
Ⅱ.成長と分配の好循環は、分配の原資を稼ぎ出す「成長」と次の成長につながる「分配」を同時に進めること
成長と分配の好循環のイメージは、成長により分配の原資を稼ぎ出し、分配により次の成長につなげるというサイクルを作ることです。成長により収益、所得、歳入が増加し、増加した原資を投資・消費、成長力強化に分配します。
成長 | 分配 | |
---|---|---|
経済財政政策 | ① 科学技術立国 ② デジタル化による地方活性化 ③ 経済安全保障 ④ 成長分野の投資強化 ⑤ デフレ脱却の実現 ⑥ 規制・制度改革 |
① 分厚い中間層の構築 ② 政府の機能強化 ③ 安全・安心を消費 |
企業経営・社会の再構築 | ① 「稼ぐ力」の強化による民間主導の成長 ② 「人」重視の経営 |
① 「三方良し」のステークホルダー重視 ② 人への投資等による主体的なキャリアアップの促進 ③ 女性・若者などの活躍、フリーランス、非正規等の待遇改善 |
Ⅲ.新しい資本主義の実現のための令和4年度税制改正大綱
令和4年度税制改正では、新しい資本主義の実現のために、下記を通じて、企業が持続的な成長を達成するという本来の使命をより一層果たしていくことが必要不可欠であるとしています。
・研究開発や人的資本などへの投資を強化し、中長期的に稼ぐ力を高める
・収益を更なる未来への投資や、株主だけでなく従業員や下請け企業を含む多様なステークホルダーへの還元へと循環させていく
こうした観点から、賃上げを積極的に行うとともにマルチステークホルダーに配慮した経営に取り組む企業に対し、税制上の措置を抜本的に強化することを基本的な考えとしています。これを受けて以下のような税制改正が予定されています。
● 積極的な賃上げ等を促すための措置
① 給与等の支給額が増加した場合の増額控除制度のうち新規雇用者に係る措置の改組
② 中小企業における所得拡大税制の税額控除の上乗せ措置の見直し
③ 大企業につき研究開発税制その他生産性の向上に関連する税額控除の規定(特定税額控除規定)の不適用要件の見直し
詳細な要件等の説明は省略しますが、①と②については積極的に賃上げを行う企業に対して税額控除を行うものであり、③については賃上げに消極的な企業に対して一定の税額控除の規定を不適用とするものです。この税制を新しい資本主義との関係で考える際に重要なポイントは以下の3点であると考えられます。
■ 企業の賃上げを後押し(①と②は一定割合の賃上げが要件)
■ 企業の教育訓練を後押し(①と②の税額控除の上乗せ要件)
■ マルチステークホルダーへの配慮(①について一定の大規模法人は、給与等の支給額の引上げの方針、取引先との適切な関係の構築の方法等をインターネットを利用する方法で公表したことを経済産業大臣に届け出ていることが要件)
賃上げは企業の従業員等への「分配」であり、分配された所得を消費に回されることで企業は収益が増加し「成長」します。教育訓練は企業の従業員等への「分配」であるとともに従業員等の能力開発により生産性が向上して企業は収益が増加し「成長」します。マルチステークホルダーへの配慮は企業の持続的な成長のために必要になります。
新しい資本主義では持続可能性や「人」を重視することがキーワードとなっていますが、
裏を返せばこれまで短期的利益を追求して「人」を軽視していたとも言えます。企業の「人」に対する投資のデータを見てみます。
■ 日本の企業規模別の労働分配率(2000年度から2019年度にかけての推移)
企業規模 | 2000年度 | 2019年度 | 差異 |
---|---|---|---|
大企業 (資本金10億円以上) |
60.9% | 54.9% | ▲6.0% |
中堅企業 (資本金1億円以上10億円未満) |
71.2% | 67.8% | ▲3.4% |
中小企業 (資本金1千万円以上1億円未満) |
79.8% | 77.1% | ▲2.7% |
小企業 (資本金1千万円未満) |
86.8% | 82.3% | ▲4.5% |
→大企業の減少率が最も大きい。
■ 企業の人材投資(OJTを除くOFF-JTの研修費用)の2010-2014年の対GDP比
米国 | フランス | ドイツ | イタリア | 英国 | 日本 |
---|---|---|---|---|---|
2.08% | 1.78% | 1.2% | 1.09% | 1.06% | 0.1% |
→日本は他の先進国に比べて極端に低い水準であり、近年更に減少傾向。
■ 労働生産性の絶対水準2019年(単位:万ドル)
米国 | フランス | ドイツ | イタリア | 英国 | 日本 |
---|---|---|---|---|---|
13.3 | 9.8 | 9 | 8.9 | 8.4 | 7.5 |
→日本の労働生産性はG7諸国の中で最も低い。
■ 1人当たり実質賃金の伸び率(1991-2019年)
英国 | 米国 | フランス | ドイツ | 日本 |
---|---|---|---|---|
1.48倍 | 1.41倍 | 1.34倍 | 1.34倍 | 1.05倍 |
→日本は約20年間実質賃金が増加していない。
■ 日本企業の財務の動向(2000-2020年度)
企業規模 | 現預金 | 経常利益 | 配当 | 内部留保 | 設備投資 | 人件費 |
---|---|---|---|---|---|---|
大企業 | +85.1% | +91.1% | +483.4% | +175.2% | ▲5.3% | ▲0.4% |
中小企業 | +49.6% | +14.9% | +216.6% | +92.0% | +8.3% | ▲15.9% |
→大企業、中小企業のいずれにおいても現預金や内部留保は増加し、配当も増加しているが人件費は減少、大企業では設備投資も減少。
データを見ると、日本では賃金が伸びず、企業の研修も積極的に行われておらず、労働生産性も低い状況となっています。このような状況を受けて、新しい資本主義実現会議(第2回)では、「成長と分配を同時に実現するためには、幼児教育・保育や小中学校から企業内まで、「人」への投資を強化する必要がある。多様性(ダイバーシティ)と包摂性(インクルージョン)を尊重し、女性や若者、非正規の方、地方を含めて、国民全員が参加・活躍できる社会を創り、一人一人が付加価値を生み出す環境を整備する必要がある。また、リカレント教育やセーフティーネットの整備を通じて、やり直しのできる社会、誰一人として取り残されない社会を実現する必要がある。働く人の評価や処遇を成果に基づき行う慣行を定着させる必要がある。」と提言しています。
(2) ステークホルダーへの非財務情報(ESG指標)開示の重要性
昨今、機関投資家によるESG投資の割合が増加しています。ESG投資は、従来の財務情報だけでなく、環境(Environment)・社会(Social)・ガバナンス(Governance)要素も考慮した投資のことを指します。ESG投資は、2006年に当時の国際連合事務総長のコフィー・アナンがPRI(国連責任投資原則)を提唱したことにより世界的に認識されるようになりました。日本でのESG投資は世界的に遅れていましたが、2015年に世界最大規模の機関投資家であるGPIF(日本の年金積立金管理運用独立行政法人)がPRIに署名したことをきっかけに、機関投資家によるESG投資の割合が増加しています。企業としては、投資家を呼び込むためにもESG等の非財務情報を開示する必要性が高まっているといえます。
【参考データ】
■ 日経平均とNYダウ平均の株価成長率比較(1991年11月から2021年11月)
ダウ平均 | 日系平均 |
---|---|
約12倍 | 約1.3倍 |
→約30年間の日本と米国の株価成長率は10倍程度異なる。
■ 時価総額に占める無形資産の割合(時価総額の構成) 2020年
市場 | 無形資産 | 有形資産 |
---|---|---|
米国市場(S&P500) | 90% | 10% |
日本市場(日経225) | 32% | 68% |
→米国市場では企業価値評価において非財務情報に基づく評価が大部分を占めるが、日本市場は有形資産が占める割合が大きい。
■ 日本の運用資産総額に対するサステナブル投資の比率
2016年 | 2018年 | 2020年 |
---|---|---|
3.4% | 18.3% | 24.3% |
→日本でもESG(非財務情報)を考慮した投資が増加している。
ESGの「E」である環境に関連して、金融安定理事会(FSB)により設置された気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)が、2017年6月に財務に影響のある気候関連情報の開示を推奨する報告書を公表しています。TCFDでは気候環境変動リスクに関するガバナンス、戦略、リスク管理、指標・目標の4項目について開示することを推奨しています。2022年1月31日現在、TCFDに対して、世界全体では金融機関をはじめとする2,981の企業・機関が賛同を示し、日本では693の企業・機関が賛同の意を示しており、日本企業・機関の関心の高さが分かります。
(1)新しい資本主義と日本の税制の説明で、日本の人的資本への投資に関してのデータと対応する税制改正大綱について確認し、上記(2)ではESG投資、非財務情報(ESG情報)の重要性を確認しました。最後に、2022年に特に注目されるESGの「S」のうち、人的投資に関する開示の動向をみてみます。
人的投資の開示については、令和4年1月17日に行われた岸田内閣総理大臣の施政方針演説で「人的投資が、企業の持続的な価値創造の基盤であるという点について、株主と共通の理解を作っていくため、今年中に非財務情報の開示ルールを策定します」とし、岸田総理の文藝春秋令和4年2月号寄稿では「人に価値があるならば、それを企業会計の枠組みの中で可視化することで、人的資本の蓄積が進むことになります。非財務情報について金融商品取引法上の有価証券報告書の開示充実に向けた検討を、すでにお願いしている四半期開示の見直しの検討に加えて、金融審議会で専門的な検討をお願いします。さらに加えて、このような法的な枠組みの整備だけでなく、個々の企業が自分の判断で開示する場合も含めて、人的資本の価値を評価する方法についても、各企業が参考になるよう、専門家に研究いただき、今夏には、参考方針をまとめていただきたいと思います。」としており、岸田内閣が人的投資を重視していることがわかります。
人的投資の重要性に関連するデータを見てみます。
■ 日本の上場企業のCFOに対するアンケート調査「現在、または将来の企業価値に大きく影響すると思われるサステナビリティ関連課題(複数回答)
人的資源の開発・活用 | 気候変動 | ダイバーシティ | 知的資本の開発・活用 | 人権 | 水資源の保全・確保 |
---|---|---|---|---|---|
77% | 69% | 53% | 34% | 11% | 10% |
→企業は「S」の重要性を認識している。
■ 過去一年間に機関投資家がとくに重視したテーマ
⓵ 気候変動 ⓶ 取締役会の構成と実効性や人材マネジメント ⓷ 役員報酬 ⓸ 新型コロナウイルスへの対応 |
→機関投資家も「S」を重要視している。
まとめ
新しい資本主義実現のための人的投資については、税制や開示、会計等の様々な分野に影響を与えています。税制は今後も人的投資を促すものになると考えられ、会計・開示では、教育訓練費等が資産計上されることがあるかもしれません。人的投資を含むESG関連情報は年々重要度が増しているため、企業はいち早くその動向に対応していく必要があります。
【出典】
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/kaigi/dai1/shiryou3.pdf 新しい資本主義の実現に向けて(論点) 2022年2月14日
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/pdf/kinkyuteigen_honbun_set.pdf 緊急提言~未来を切り拓く「新しい資本主義」とその起動に向けて~ 2022年2月14日
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/kaigi/dai3/shiryou1.pdf 賃金・人的資本に関するデータ集 2022年2月14日
https://www.mof.go.jp/tax_policy/tax_reform/outline/fy2022/20211224taikou.pdf 令和4年度税制改正の大綱 2022年2月14日
http://www.gsi-alliance.org/wp-content/uploads/2021/08/GSIR-20201.pdf GLOBAL SUSTAINABLE INVESTMENT REVIEW 2020 2022年2月14日
https://kabu.com/sp/item/foreign_stock/us_stock/column/5.html 日本株と米国株~過去30年の株価の推移は~ 2022年2月14日
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/wgkaisai/hizaimu_dai1/siryou3.pdf 基礎資料 2022年2月14日
https://tcfd-consortium.jp/about TCFDとは 2022年2月14
週刊東洋経済2022年1/22 企業価値の新常識 45頁