種を蒔き、育て上げる。農学こそ、ベンチャー。

廣渡ユーグレナさんとは、2008年からのおつきあいになりますね。
出雲私どもは、2012年に大学発のベンチャー企業として日本で初めて東証マザーズに上場を果たしました。そのずっと以前から、AGSさんにはいろいろとご支援をいただいています。
廣渡初期からお手伝いをさせていただき、一部上場後も継続したおつきあいができていることを何より光栄に思います。今日は、出雲社長が起業に至った動機や、上場までのお話、また御社の現在の事業や未来の展望などをうかがえればと思っています。
ところで、“ベンチャー”という言葉は今となっては普通に使われますが、15年ほど前まではまだ母数も少なかったですよね。お仲間と起業されたのが2005年ということですが、出雲さんは、ベンチャーとはどんな存在と捉えていますか?
出雲私自身、理系の出身ですが、ベンチャーに携わって思うのは、これはまさに農学そのものだということです。なぜって、農業は種を土に蒔くことから始まり、台風や日照りを乗り越えながら、作物を育て上げ、実ったものを収穫しますよね。それを実際に食べておいしいか確かめ、翌年はもっとおいしく育てようと知恵をしぼり、再び種を蒔いて育てる。それをひたすら繰り返します。まさに農学自体がベンチャー(冒険的)だと思いませんか?
廣渡試行錯誤しながらより良いものを作るために、時には品種改良も重ねる。
出雲でも、頭の中でどんなに計算しても答えは出ない。まずは実践。やってみないとわからない。
廣渡まさに! それっていい話ですねえ。
出雲ありがとうございます。そうなんです、だから実践主義の農学の人がベンチャーをやればうまくいくと思うし、ぜひやって欲しいと思っています。
廣渡ところで、出雲さんが起業に至ったきっかけか知りたいですね。少年時代から目指しているものがあったのですか?
出雲公務員か会社員です(笑)。私は、多摩ニュータウンで育ちました。そこで暮らす世帯は、うちを含め、父親は企業に勤めているか公務員ばかりで、自営業の方はひとりもいらっしゃらなかった。自分のようになりなさいという教育は受けたことはありませんでしたが、そんな環境ですから、ただ他を知らなかった。個人で事業を立ち上げるなんて、ましてやベンチャーでやっていこうなどと考えもつかなかったです。
ミドリムシとの出合いを機に、循環型社会の実現を目指す。

廣渡その考えが変わったのは、やはり、ミドリムシに携わるようになってからですか?
出雲はい。大学1年、18歳の時に学外活動でバングラデシュに行った時、そこで子供たちの貧困と栄養事情の悪さに直面し、衝撃を受けました。世界の食料問題を解決したいという思いを抱いていた中で、ミドリムシを知りました。
廣渡やはり会社よりもミドリムシが先だったんですね。
出雲ミドリムシは藻の一種ですが、その中に、人間が生活するために必要な59種類の栄養素を含んでいるんですよ。植物は動けませんよね。動物は光合成ができない。ところがミドリムシは両方できる。つまり植物と動物の力を兼ね備えているわけです。これを培養、加工して子供達に飲んでもらえたら、元気にしてあげられる。非常にシンプルな考えがきっかけです。
廣渡そこからなぜ起業に至ったのですか?
出雲思い立ったのは大学3年の頃です。ミドリムシがいかに優れた栄養を含み、人に有用かという研究は1980年代から続けられて来ました。でも、これを大量に培養する技術は研究されて来なかった。量産すれば社会の役に立つのは明らかですが、それは大学の研究の方向性と違う。だったら、培養と活用のために自分が会社を作らなくては、と意識が変わっていきました。
廣渡そうだったんですね。そこから実際の起業を経てその後の苦労や紆余曲折は、方々から尋ねられる機会も多いのではないですか? みなさん興味がおありでしょう。
出雲そうですね。苦労話も、もちろん聞かれればお答えします。でも、これまでのことをよくご存知の廣渡さんだから本音を申し上げますけど、はたから見たらきっと大変だと思われることも、自分自身では大変と思ったことがないんです。ミドリムシ(の培養と活用)は、誰かにやれと言われてやっているわけではなく、好きでやっているんですから。
廣渡なるほど。素晴らしいです。
出雲ユーグレナを2005年に設立して、ミドリムシの培養に成功したのがその年の年末でした。さっそく翌年の頭から営業を始めるのですが、そこでまず100社回ろうと。ミドリムシと聞いて、それが高性能の藻と最初から分かる人はまずいません。でも、根気よく説明をすれば、たとえ100社のうち99社断られても、1社は買ってくれるだろうという予測を立てました。
それから1日平均3社、2年間で約500社営業しましたが、買ってくれる会社は結局0でした。当然売上も2年間0円。それでもなお、私はピンチとは思っていませんでした。
廣渡まさに、好きでやっているからこそですね。
出雲ベンチャーは天候諸々に左右されて当たり前。でも、そんな時にターニングポイントとなる出会いがありました。ミドリムシの話を熱心に聞いていただける方が、ついに現れたんです。半年のデューデリジェンスを経て、ミドリムシの可能性に出資し、販売を担当していただけることになりました。伊藤忠商事さんです。このことがきっかけとなって、誰もが知っている名だたる企業から次々とお声をかけていただくようになりました。
多様な可能性を活かし、常に新しい挑戦を。

廣渡食品から始まったけれど、今、様々な事業へ展開していますね。ユーグレナさんが「5F」として掲げるFood(食品)、Fiber(繊維)、Feed(飼料)、Fertilizer(肥料)、Fuel(燃料)という多段階利用の仕組みが固まったのはいつですか?
出雲2009年です。最初からやりたかったのは、FoodとFeedで、当初は食べることばかり考えていました。でも、いろいろな企業さんと出会わせていただくたびに、共同研究を通して、ミドリムシにはこんな使い道や可能性もあるんだ! と気づかせていただいています。
廣渡お話をお聞きしていると、全くお客さんの取れなかった2年間も、名だたる組織と協働している今も、出雲さんが注いでいる力に違いはないですよね。ただ、上場を果たしたことで、より多くの企業とインパクトのある事業に携われたり、事業が形になるスピードが増すという点では、やはり上場することの意義、ダイナミックさを感じませんか。
出雲もちろん感じます。例えばバイオ燃料研究などは数年で完結するような話ではなく、数十年単位の長期的な事業です。完結するその時まで私たちが存続できるということを示すためにも、四半期ごとに財務諸表を開示して、一部上場しているという事実は、大きな意味を持っているんです。じつは、私たちが東証一部上場を果たした際にそれを一番喜んでくれたのは、ミドリムシの可能性を信じて協働の名乗りを上げてくれた企業さんと、古巣である東京大学のアントレプレナープラザ(東京大学産学協創研究推進本部)でした。
廣渡出雲さんたちのおかげで、アントレプレナープラザという場を作った甲斐があったと嬉しかったはずです。ベンチャーの世界で、頑張ったなりに結果を出せる人が育ち、努力をした企業が社会にくさびを打てるようになってきている。もちろん、必ずしも理論だけでは成功できない世界ですが。
出雲そこが農業と一緒です。失敗しながら試し続ける。
廣渡そういう意味でもユーグレナさんは若手の希望の星です。最後に、これからIPOを目指す企業家へメッセージをお願いします。
出雲ベンチャーは農業です。育ちが悪くなったらAGS!(笑)
冗談ではないですよ。「専門外で無理をしてはいけません。AGSさんは、私たちの事業にまだ誰も目をつけていない時代から支え、一ミドリムシが一部上場ミドリムシになるまで、フルサービスでサポートをしてくださいましたから。AGSの肥料サービスで、みなさんの花が立派に開くことを願っています。