• 対談

人材ビジネス最前線からみた、はたらくことのリアルな未来

パーソルホールディングス株式会社 水田 正道 氏

「はたらいて、笑おう。」をグループビジョンとして掲げ、総合人材サービスを幅広く展開するパーソルグループ。はたらく個人のニーズが多様化し、はたらき方が大きく変わりゆくなかで、「仕事とは何か」、「はたらくこととは何か」を問い続けてきた水田正道社長に、AGSコンサルティングの廣渡嘉秀が話を伺った。

創業者、篠原欣子さんと の出会いと転身

廣渡 おひさしぶりです。お変わりないですか?年末のこの時期、会食も増えますよね。

水田 そうですね。お客さまや社員との時間は大いに刺激がありますが、還暦ですし、健康にも気を使わないといけないですね。以前と違ってグループ社員もずいぶん増えたので、全員と機会を持つには10年はかかりそうです。

廣渡 さすが営業ご出身。(笑)
そういえば、水田さんはリクルートご出身だったと記憶しています。

水田 はい、1984年入社です。当時のリクルートの営業には「売れない」の文字はない、というくらい営業に力を入れていました。

廣渡 当時は何を売っていたんですか?

水田 中途採用向け求人情報誌の広告枠です。ある媒体の一番のお客さまがテンプスタッフ(現パーソルテンプスタッフ)で、私がずっと担当していました。創業者の篠原欣子とは、20代の頃からの付き合いになります。
当時から篠原に口を酸っぱくして言われたのは、「怒っちゃダメよ、威張っちゃダメよ、格好つけちゃダメよ」。篠原は、座右の銘が「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という、すごく謙虚な人です。

廣渡 なるほど、そういう出会いだったんですね。当時のテンプスタッフはどんな状況だったのでしょうか。

水田 売上規模で言うと100億円ぐらいだったと記憶しています。まだまだ「派遣」というはたらき方が浸透していない時代で、お客さまは外資系企業が中心でした。
当時業界をリードしていたのはマンパワー・ジャパン(現マンパワーグループ)ですね。

廣渡 テンプスタッフに転職したのは、おいくつの時だったんですか?

水田 30歳手前だったと思います。リクルートには5、6年在籍していました。
そこからテンプスタッフに転職しましたが、女性の比率が高い会社で独特の雰囲気がありました。

廣渡 リクルートとは真逆のイメージがありますよね。

水田 篠原が売上を教えてくれないんですよ。「私はそういうのが好きじゃないから」という理由で。営業とは数字を追うものと思っていた私には衝撃的でしたね。
当時、篠原がよく言っていたのは、男性にも女性にも、それぞれの考え方や特性があるということ。「女性は現状をしっかり守って、いまのお客さまに真摯に向き合っていきたいと思う。男性はより新規の営業先を開拓して事業を大きくしていく傾向がある」という話をよくしていました。

廣渡 そこで、バリバリの営業マンだった水田さんをヘッドハントした。

水田 そもそも当時のテンプスタッフには営業という機能がなかったんです。(笑)
入社後、新規のお客さまにアポを取って、普通にテンプスタッフのサービスを提案しただけで売ることはできました。
ただ、新規のお客さまが増えすぎると既存のお客さまに向き合えなくなってしまうという理由で、新規営業は必要ないという雰囲気がまだ根強く残っていましたね。

廣渡 男女問わずで、それは弊社も同じかもしれません。(笑)

水田 ただ、その考え方は、あくまで既存のお客さまが未来永劫続くという前提のうえでしか成り立たないものですので、このままではいけないと思ったのを覚えています。

大きな試練も経て培った、現場での肌感覚

廣渡 とはいえ、新規営業が加わっていくことで、会社は大きく伸びたのではないですか?

水田 そうですね、時代の要請という面もあったと思います。
ところが、98年1月に情報事故という大きな試練がありました。当時私は営業本部長でしたが、マスコミの対応から情報の回収まで、事態の収束に向けて奔走することになりました。今思い出しても生きた心地がしません。

廣渡 今でこそメディアへの対応もある程度考えられそうなものですが、20年前となると今以上に大変だったんでしょうね。

水田 後になって反省したのは、いろんな人、特に専門家の意見を聞き過ぎてしまったということ。もちろん意見は参考にすべきですが、外部の人たちが責任を取れる訳ではありません。
自分たちで決めたからやるしかない、と自らの判断に責任を持つことが大事だと改めて感じました。

廣渡 やはり会社の業績にも影響はありましたか?

水田 不思議と業績は落ちなかったです。私たちとしては、身売りすら考えたくらい追い込まれていました。
少し極端にいうと、お客さまが守ってくれた。これまで誠実にやってきたことを認めていただいた、ということなのかもしれません。

廣渡 それは本当に大事なことですよね。先ほど、時代の要請とおっしゃっていましたが、その後は着実に成長を遂げていったのでしょうか。

水田 2004年あたりまでは、成長への勝ちパターンみたいなものがありました。ひとつは、資産を保有せず、フロー経営を徹底すること。

廣渡 不動産などに無駄なお金をつかわず、事業についても、小さく生んで大きく育てていった。

水田 ヤドカリ経営と呼んでいましたね。
地道にがんばって、少しずつ大きなオフィスに引っ越していけばいいという考え方でした。
もうひとつのパターンが、「少数だから精鋭になる」という考え方のもと、相当数の別会社を設立していったことです。批判もありましたが、当時のようにマーケットが全体として成長している段階にあれば、別会社の乱立による非効率な部分も吸収できました。
あの当時、グループ内には20名ほど社長がいました。

廣渡 それは上場後ですか?

水田 上場前です。
この「少数だから精鋭になる」という考え方は、ヤマト運輸の創業者である小倉康臣さんもずっとおっしゃっていたようです。

廣渡 ただ、2004年ごろからマーケットの環境が変わり始めた。

水田 こうした成功パターンをかなぐり捨てるべきタイミングがきました。
別会社を集約し始めるとともに、特定派遣の分野など、お客さまのニーズに応えるべくストック経営にもどんどん進出していきました。
でもこれは、理屈ではなくて、現場の肌感覚なんです。だからマーケットのチェックは欠かせない。今でも月に20社は営業に回っていますから。

廣渡 20社?月に?本当ですか、それはすごい。

水田 イメージが沸かないことは絶対にうまくいかないですよ。だから、現場の感覚が大事です。

廣渡 雑談のなかにこそヒントがあったりしますもんね。

組織の「膨張」と転換点

廣渡 そういえば、上場したのは2006年だったと思いますが、その頃には集約が進んでいたと記憶しています。

水田 実は上場前、売上が3倍ぐらいに急拡大しながらも利益がゼロになったことがありました。
売上至上主義の副作用です。さすがに反省しました。そこから1年かけて分析したところ、原因は4つあって、そのうちのひとつが過剰サービスです。

廣渡 なるほど、真面目な日本人が陥りがちな問題でもあります。

水田 「お客さまは神様です」の是非については昨今も問われていますよね。
ふたつ目は、オペレーションがうまく機能していなかったこと。今だから言えますが、当時請求書の1パーセントほど、ミスが起きていました。

廣渡 それはまた、大変なご状況でしたね。

水田 ミスのリカバリーがまた大変じゃないですか。すぐにテコ入れしようとしたところ、お客さまの要望に合わせて、90パーセントが私たちの請求フローを変え、例外処理をしていたことがわかりました。

廣渡 過剰サービスが招いた結果でもありますね。

水田 あとのふたつは、社内の連携不足による機会損失と、会社を増やしすぎたことによる重複業務の増大ですが、やはり売上至上主義と過剰サービスに端を発していたんだと思います。

廣渡 そこから利益を出せる状態へ、急ピッチで変革させていった。
組織が大きくなって、うまく回らなくなるケースは、私たちがお手伝いする典型的なパターンでもあります。

水田 言うなれば「膨張」ですね。あれをやらなかったら上場できなかったんじゃないかな。
あの時は本当に反省しました。

廣渡 営業にたけた経営者は、オペレーションに対する意識が後手に回ってしまいがちですよね。
ただ、組織的な転換点だったということかもしれません。

水田 そうですね、流れが変わっていくタイミングで自己否定できるかどうか。
私の場合、自身の誤りを認めたり、謝罪したりすることがぜんぜん苦にならないタイプなので、そこは良かった。
でもやはり、こうした判断って理屈ではなくて感覚ですね。だから私は、いまも現場に向かいます。

ふたり目の横綱がみる、人材ビジネスの行方

廣渡 そうした感覚でいうと、今後の人材派遣ビジネスはどうなっていくとお考えですか?

水田 巡航速度といったところでしょうね。お客さま側の需要は問題ないですし、まだ伸びると思います。ただ、そのためには派遣というはたらき方を選択する人が増えていかなくては。

廣渡 そういう意味で、今回の同一労働同一賃金は良い流れを生むかもしれませんね。

水田 はたらく人たちにとっては所得が増え、安定した生活を送れるので大歓迎です。
さまざまな考え方があるかと思いますが、経営者には、どんなに環境が変わったとしても、それをポジティブに捉えることが求められる。じゃなきゃ会社は成長できないし、経営なんかやっていられないですからね。

廣渡 同感です。(笑)それは私たちも含めて、すべての業界に通じることですね。
そういえば、2013年4月にインテリジェンスホールディングスを買収したことはものすごい判断だったと思うんですが、やはりあれは大成功ですか?

水田 社内から異論が出たりもしましたが、この案件だけは絶対にやらなきゃダメだと思いましたね。

廣渡 当時、同社の株式は主にKKR(米投資ファンドのコールバーグ・クラビス・ロバーツ)が持っていたかと思うんですが、買収総額680億円というのはさすがに高いなという印象でした。

水田 インテリジェンス(現パーソルキャリア)だけでも、今では200~300億円の売上を上げる会社ですから、高くはないですよ。もちろん、当時は100億円に満たない状況でしたが。
国内のM&AはP/LやB/Sなど、財務的なデューデリジェンスだけで判断せず、会社のコンディションやマーケットの状態などをすべて理解したうえで決断できます。だから、失敗しないんですよね。
もちろん、AGSさんにサポートいただいているからうまくいっている、ということもありますが。(笑)

廣渡 ありがとうございます。(笑)
でもたしかに、海外のように土地勘のないところで判断するのは本当に難しいですよね。
ところで、先ほどおっしゃっていた、「絶対にやらなきゃダメだ」と感じた理由はどこにあったのでしょうか?

水田 たったひとつ、やらなかった時のリスクです。もしこの話を見送ってしまったら、私たちの成長はないなと感じました。それどころか、リクルートの一強化を許してしまう。松下幸之助さんの有名な言葉に「相撲でも強い横綱が1人だけでは盛り上がりません。」というのがありますが、力の拮抗したライバルがいないとマーケット自体の成長が鈍化してしまいます。

廣渡 そもそもファンドが保有している以上、パーソルが買わなかったとしても、どこかに売ることになりますもんね。

あたらしいブランドと、あたらしい三種の神器

廣渡 話は変わりますが、2016年7月に新ブランドとして『PERSOL(パーソル)』を導入され、翌2017年7月には中核会社が商号を変更されました。このあたりの経緯などについて伺ってみたいです。

水田 二度とやりたくないくらいヘトヘトになりました。(笑)関係各所に説明しなきゃいけませんし、社内外からいろんな意見も出てきました。本当に膨大なエネルギーを消費しました。

廣渡 たしかに、「テンプスタッフ」ブランドは相当浸透していましたからね。

水田 そこなんですよ。いろんな会社が一緒になって海外もやっている。英語では「テンプスタッフ」は「派遣」の直訳なんです。総合人材サービスに事業を拡大し、上場企業5社の連合体になった今、新しいビジョンを掲げる必要がありました。篠原欣子という存在が第一線から退くなかで、次の求心力をどこに求めればよいか。

廣渡 創業者には誰もなれませんからね。

水田 そこでみんな失敗するんですよ。「人」から「ビジョンや理念」に求心力を移行していかない限り、私たちの未来はないなと感じました。

廣渡 グループ全体を示すブランドとして『PERSOL(パーソル)』が生まれ、2019年10月には新しい仲間たちにも共有してもらえるようなビジョンとして、「はたらいて、笑おう。」を掲げた。でも、創業者のカラーを変えてしまうということですから、批判もあったんじゃないですか?

水田 『PERSOL(パーソル)』はPERSONとSOLUTIONの造語で《人》の成長を通じて、社会の課題を《解決》するという意味を込めています。批判ももちろんありましたが、篠原が「水田さんの好きなようにやりなさい」と言ってくれたことが大きかったですね。結果的にはやってよかったと思います。二度とやりたくないですけど。

廣渡 篠原さんは、テンプスタッフという社名とピンクカラーで、「女性」・「事務」というブランドを築き上げましたが、リクルートに伍していくためには違う機軸が必要になります。そういう意味でも、「はたらいて、笑おう。」はすごく良いと思いました。

水田 シンプルが一番です。イメージが沸きやすい。あと、売上や生産性のような話ばかりしていると夢がないし、疲れちゃうと思うんです。これまでの時代のマネジメントは三種の神器があって、肩書、(私生活を犠牲にするなどの)時間、(体育会的な)率先垂範。

廣渡 たしかに、今そんなことを言われるとみんな引いちゃいますね。(笑)

水田 私でも嫌です。これからの時代、従業員に一生涯の給与を保証することはどんどん難しくなりますから、仕事も今後はメンバーシップ型からジョブ型に変わっていかざるを得ないでしょう。そういった時代に必要な三種の神器は、共感性、ビジョン、信頼だと思っています。生まれ育った環境が異なる以上、価値観なんてものは合う訳がないですから。だからこそ、登る山としてビジョンがある。価値観が違っても、同じ山に登ることができれば良いんです。

多様性の時代、「はたらいて、笑おう。」を実現するために

廣渡 「多様性」はマネジメントにとって大きなキーワードになってきますね。人材もそうですが、はたらき方も多様化してきますし。

水田 たとえば在宅勤務なんて、一緒にはたらいていない訳ですから、どうやって評価すれば良いかが問題になります。評価する側もされる側も、信頼関係が評価の納得感につながっていく。信頼される人には、共通項があると思います。

廣渡 それは興味ありますね。

水田 ちょっと図に描いていいですか?
マトリクス図で考えると、「世のため人のため」または「自分のため」という軸と、「評価できる」または「評価できない」という軸があると思うんです。そのなかで、信頼できる人、尊敬できる人というのは、「世のため人のため」に「評価できない」ことに汗をかいている気がします。ビジネスにおいて、多くの人は「自分のため」に「評価できる」ことに注力する傾向にありますが、そんなマネージャーは信頼できませんよね。

廣渡 意外とみんな見てますからね。(笑)

水田 見てますよ、やっぱり。仕事ができるということと尊敬できるということは似て非なるものですから。

廣渡 おっしゃるとおり、「仕事はできるけど尊敬できない人」というのはたくさんいます。

水田 最近、人の生きざまに一番興味があって。

廣渡 水田さんを見ていると、「職場とは」とか「はたらくこととは」のようなテーマを考え続ける商売なんだなと感じます。

水田 やっぱり仕事とは、世のため人のため、誰かに喜んでもらえることを実感できること、あとは「居場所がある」ということだと思います。もちろん、お金を稼ぐためであることは否定しませんけどね。いろんな統計を見てみると、年収800万円を超えるとほとんど幸福度は変わらないらしいんです。

廣渡 なるほど、衣食住に困らなくなりますからね。

水田 「衣食住足りて礼節を知る」という言葉がありますが、一定レベルを超えてしまうと、人間は心の豊かさを求める傾向にあるのかもしれません。その意味で、ビジョンというのは社会性なんですね。

廣渡 すごく勉強になりました。
パーソルさんにはいつも本当にお世話になっているうえに、今回は貴重な機会をいただきました。本当にありがとうございました。

  • 水田 正道

    水田 正道

    みずたまさみち

    パーソルホールディングス株式会社 代表取締役社長 CEO

    1959年生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、リクルート入社。1988年、テンプスタッフ創業者の篠原欣子氏にヘッドハンティングを受け、同社に転職。2013年6月、テンプホールディングス(現パーソルホールディングス)およびテンプスタッフ(現パーソルテンプスタッフ)代表取締役社長就任。2016年6月より現職。

  • 廣渡 嘉秀
    interviewer

    廣渡 嘉秀

    ひろわたりよしひで

    株式会社AGSコンサルティング 代表取締役社長

    1967年、福岡県生まれ。90年に早稲田大学商学部を卒業後、センチュリー監査法人(現 新日本監査法人)入所。国際部(ピートマーウィック)に所属し、主に上場会社や外資系企業の監査業務に携わる。 94年、公認会計士登録するとともにAGSコンサルティングに入社。2008年より社長就任。09年のAGS税理士法人設立に伴い同法人代表社員も兼務し、現在に至る。

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